エピソード2:「建設時代の学会」~戦後の学会の再開~

出典:元JBEA理事長 青山学院大学名誉教授 尾崎茂先生著 「日本商業英語学会史」より
監修:元JBCA理事長 中央大学名誉教授 林田博光先生

エピソード2:「建設時代の学会」~戦後の学会の再開~

昭和24年(1949年)11月。終戦から4年が過ぎ、日本も徐々に復興が進んだ頃、学会員が集まり、「学会復興準備委員会」が作られ、翌年に第10回を開催するための準備が始まっていた。そして、昭和25年(1950年)5月20日早稲田大学商学部にて18人の旧学会員により待望の学会、研究発表活動の再開となった。ともに戦争を生き延びたことへ喜びを称え、新しい熱意ある研究へと歩み始めた。この戦後の再開を機に学会の名称は「日本商業英語学会」と改められ、英語表記を、”Japan Business English Association(JBEA)”とした。以後、JBCAに変更となるまで長くこの名称が続くこととなる。

再開から2年目にその後に影響すると思われる出来事が起きる。それは、「文部省に建議」を出したことであった。これは、本学会の決議として「商業英語特論は大学修士課程に適する学科と認める」ことを文部省に建議したされている。その理由として、大学4年間では商英の習得は到達できないこと。また商英の教授者を養成するには大学院課程とすること。希望者に選択履修として商英の機会を与えることは、大学院修士課程の目的と合致するのとして主張したが、結果、当時の文科省は建議を取り上げなかった。この結果をうけて、本学会は、修士課程の学科として高度の商英に関するためのカリキュラム編成に至る研究がなされていないと認め、ますます学会の意義を見出し、各研究に拍車がかかることとなっていく。

昭和30年代に入り、活動も活発化して行く。America Business Communication Association (ABCA)との海外交流も再開して、アメリカの大学からABCAのメンバーを招待するなどの商英の実践的経験を学会として踏んでいく。さらに昭和34年(1959年)には、「日本経済学会連合」に加盟が承認された。これは当時の懸案事項の1つで、商英に関する認識が低く受け取られていたことを回復するためのPRとしても必要であった。その後も商英の研究は多くの先生方により体系づけられていき、「商英学とはBusinessの場でとらえられる言語現象を対象とする学である。」とされた。

その後、昭和40年代に入り、貿易用語としての商業英語が確立されていく。その中で商英学とは「貿易通信のみを対象とすべきでなく、取引の場で用いられる英語を対象とする学である。」とし、さらにその方法について、「取引の効果を増進する説得という意味を重視し、商学的、経営学的研究は貿易研究論の内容とし、その後に学的研究の成果が論せられるべき。」とするこという新たな論が記されている。しかし、この時期をピークとして、その後の研究発表は、徐々に消極的傾向となりつつ、海外貿易市場が拡大する日本経済と共に昭和50年代へと進展していくのであった。
「日本商業英語学会史」のあとがきの中で、発行人である尾崎茂先生は、『「商英」と「ビジネス」と「人間」との関係を三位一体的、直感的にとらえねばならない。即ち商英を学として、科学的に研究すると同時に、商英を用いる人間が、「商英」と「ビジネス」と「人間』の関係をとらえる研究も取り入れるべきはなかろうか。』と、結びの言葉として記されていることがじつに印象深い。

「エピソード3」に続く。(次回連載は7月予定)

エピソード1:「創設の時代」~戦前の学会~ は、こちらからお読みください