エピソード1:「創設の時代」~戦前の学会~

出典:元JBEA理事長 青山学院大学名誉教授 尾崎茂先生著 「日本商業英語学会史」より
監修:元JBCA理事長 中央大学名誉教授 林田博光先生

エピソード1:「創設の時代」~戦前の学会~

昭和9年(1934年)。メイド・イン・ジャパンの安い製品が世界に氾濫する盛況により、海外貿易は拡張し、まさに貿易栄華の時代になろうとしていた。こうした背景から日本は、海外との貿易を行うための英語を必須とする必要性が出ていた。それは、全国の大学、専門学校において商用の英語の単語・連語の具体的な選定や、それを教える側の教授陣の知識と理解、さらに経験による実践的な「商業英語」(以下商英と呼ぶ)の活用による教育の普及が急務となっていた。

そして同年7月20日。神戸に今もある六甲山ホテルの1室に集まった16人の教官たちは、差し迫った現実である商英の研究により日本の貿易の発展を支える次世代の人間を育てるための思いがあった。この時代背景のもと、16人の商英担当の教官たちが、これからの日本の発展に必要な商英研究をするために集まり、研究の場を創立した。それが、現在の「国際ビジネスコミュニケーション学会(以下JBCAと呼ぶ)」の起源となる団体の誕生である。名称は「日本商業英語教師会」として誕生。当時の議論は、「商英とは何ぞや」「商英に関する疑問一束」「英米法より見たる商英の研究」など、当時の先生方による、まだ手探りのような学会研究の始まりであったのかもしれない。しかし、先生方の熱意ある研究は、昭和15年の第5回大会において2日間に渡り、実に13本もの研究が発表された。さらに研究発表の後、大阪・中之島公会堂にて初の公開講演会も開催し、聴衆に多大な感銘を与え、本会の存在を社会にPRするために極めて効果的な講演会であったと記されている。

しかし、昭和16年の太平洋戦争開戦により状況は一変することとなる。記録によると戦中最後の学会として行われたのは、昭和17年(1942年)に神戸で開催された第9回である。戦時中でありながら2日間で12もの研究発表があり、そのうち9本が商英の研究についてであった。戦時下ながら116人もの教職員が集まり、その様子を見るため、文部省からも監督官が視察に来場されたと記されている。その時の課題、協議の議題は、「戦時下の通称事情変化、並びに商業英語教授を如何に改変すべきや」であった。この先の日本の未来が見えない中でも、当時の先生方の商業英語を今後どうしていくのかを論じる場として、熱意ある課題ながら、その当時の苦悩がうかがえる課題でもあったと言える。しかし、これを最後として、昭和25年の再開までの約8年間、本学会は冬眠時代に入ることとなるのであった。

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